胃がんのため急逝した叔母を悼んで

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今年の5月に叔母が胃がんのため亡くなっていた。74歳だった。発覚してから約1ヶ月でこの世を去った。

かつて私に深い愛情を注いでくれた人。あるときから疎遠となり、長年会っていなかった。彼女の死は約半年後に噂で知った。

彼女には子がおらず夫がいた。私は叔父である彼と連絡をとり、事実を確かめ墓参りに行った。石碑の前では涙を我慢できたが、仏壇の遺影を見て涙があふれ咽び泣いた。

叔父は末期の様子を声を震わせながら話してくれた。
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彼女はずっと元気だった。我々と合わなくなった後も、彼女は彼女らしく元気に暮らしていた。近所の友達を集めて得意の中華料理を振る舞ったり、卓球クラブに所属して大会に出ていたりした。

約2年前に受けた血液検査も全く異常なかった。自分の体に自信を持っていたのであろう。それ以降、血液検査はせず、白内障の主治医から勧められて今年4月に検査を受けた。

すると、血液に大きな異常が見られ、精密検査の結果ステージ4の胃がんと診断された。すでに手の施しようがなかった。医師から余命3ヶ月と告げられ、彼女はショックを受けたようだが、すぐに覚悟を決め、入院中も友人たちに電話をかけまくり挨拶していた。

最後の1週間はみるみる衰弱していった。ベッド一面の大量吐血に始まり、口から溢れ出す血を吸いとる日々。点滴のわずかな栄養だけが彼女を生かし、叔父にできることはただそばにいて見守ることだけだった。

彼女が亡くなったのはゴールデンウィーク明け。大病院に転院した日の翌日。いくらかマシな治療が受けられると思った矢先のことだった。告知からたった1カ月余り。臨終となった叔母はとても安らかな顔をしていたと言う。
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私は、叔母の死に際に立ち会えなかった。会わなくなって20年以上も経つので無理はない。病院のベッドの上で、少しは僕のことを考えていてくれただろうか?そうであったなら多少は救われる。

実はいくつかの不思議な体験がある。

叔母の命日の朝、私はめまいを患っていた。それが数日間続き、医者にもかかった。左耳の耳鳴りを伴うめまいだ。めまいなどあまり経験がない。若い頃に、スキューバで内耳を傷めたことがあるので、その後遺症くらいに思っていた。

ところが叔母の命日を知り、ひょっとしたら叔母の死と関係があるのではないかと感じた。つい先日も、同じめまいが再発した。叔母の墓参りの前日だ。そして墓参りから4日経った今もまだ耳鳴りが続いている。左耳の高音質な心地よい音だ。

調べると、耳鳴りにはスピリチュアルな意味があり、特に左耳の場合は「天の人からのコンタクト」なのだそうだ。日ごろの疲れやストレスが原因とも考えられるが、これほどのタイミングの一致は偶然とは思えない。私は叔母が送ってくれているメッセージだと本気で信じている。

母は母で、夜中にたびたびラップ音を聞いており、そのたびに妹が来たと言っている。母は、彼女の訃報を聞いた後に経験しているので、やや恣意性を感じるが、それはそれで事実なのであろう。

こういった現象には、我々自身の心の内が関係していることは間違いない。我々は叔母の死を受け入れ、今後は我々の近くで見守ってくれていることを感じながら生きていくことになるのだろう。

 

不治のがんと宣告されて、叔母は悲しんだだろうか? 必ずしもそうは思わない。

私が腎がんの再発で約6年前に、医師から告げられた際、多少は死を覚悟した。ステージ1の分際で恐れ多いが、転移するがんを体内に抱えたという恐怖心は今でもある。

告知された時は当然大きなショックであっただろう。だが、人間は死から逃げも隠れもできない。もしそうなったら腹をくくるしかないのだ。

それは叔母の行動にも見て取れる。お世話になった友人への挨拶、ベットいっぱいに吐血した時は苦しみよりも驚きの様子が印象的だったと叔父は言う。

その頃の叔母にあったものは、がんという得体の知れないものに対する恐怖ないし畏敬、そして立ち向かうという覚悟。そういうものではなかっただろうか。やがては、立ち打ちできないことを知り、観念し、眠りについたのではなかろうか。

 

若い時に、まるで我が子のように可愛がり愛情を注いでくれた叔母。本当に些細なことをきっかけに疎遠となり、何も恩返しができないままお別れとなってしまった。

お互いにまた元気な姿で会えると心から信じていた。私が日常におぼれず、叔母と早くに再会していれば、できたことはいくらでもあっただろう。急死の一因は、健康診断を久しく受けなかったことにある。ならば、いつも母にそうしているように、叔母にも定期健診を受けるよう強く促せたなら、彼女の命を救えたかもしれない。そう思うと本当に悔やまれてならない。

自分が病にかかるたび、身近な死に直面するたびに、生きるとは何かを考えさせられる。その答えは永遠にわからないかもしれないけれど、生と死は表裏一体にあることを実感せずにはいられない。僕だっていつ死ぬかわからない。だからいい加減に生きていいということでは決してない。

自分がどういう死を迎えたいか?
そのために今自分は何ができるのか?

そういったことを考えながら、ただ生きるしかないのだろう。
叔母の死を受け入れ、今までのことに感謝し、自分の生に変えるより仕方がないのだ。

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